10歳の時ライモンド巨匠 のもとで民族音楽を中心にアコーディオンのレッスンをはじめる。6ヶ月間のレッスンの後、ホール、劇場そして地方テレビ放送にて出演し始め1978年レナート ペッローネ巨匠とともに伝統的なアコーディオン音楽の勉強をはじめる。1980年ドメーニコ巨匠 の指導のもとスタンダードアコーディオンの伝統音楽の勉強を続け、それと同時にアコーディオンコンクールのための準備をはじめる。1987年モンカリエーリ(トリノ)C.D.M.Iの指揮者であ るウーゴ ヴィオーラ巨匠とともにリズミカルな旋律を習得するクラシックアコーディオンの勉強がはじまる。16歳でアンコーナにて、アコーディオンナショナルフェスティバルにおいて3位受賞。1986年第3回ナショナルコンクール“Citta` di Sannicandro Garganico”において1位受賞。1989年、第4回国際音楽演奏会コンクール“San Bartolomeo al Mare”において3位受賞。1992年第5回アコーディオンナショナルコンクール“San Vincenzo La Costa”(コセンツァ)において1位受賞。1993年ロベレード(スイス)にて、若手演奏者のための第14回国際音楽コンクールにおいて2位受賞。1994年エルベッツォ(ヴェローナ)第3回ナショナルコンクール“Festa della Fisarmonica 1994”において2位受賞。1990年から1992年までアソーロ(トレヴィーゾ)にてアコーディオン演奏者の専修課程セミナーに、S. Giustina Bellunese(1993年ベッルーノ)にてアコーディオン学校の大臣賞プログラムにおけるコースに、そしてプラート(1994年フィレンツェ)の国際教育学センターに参加した。Paralia 1998国際フェスティバル(ギリシャ)とTatranska Strba 1999国際コンクール(スロヴァキア)の陪審員議長の任務を引き受けるために1998年、ベルグラード(Yu)の“S.O.M.O. Stanislav Binicki”国立音楽学校より召喚される。2001年、2002年、2003年にジェノヴァにおいて音楽奏者のための第7回、第8回、第9回国際トロフィー“Citta` di Casarza Ligure”の審査員メンバーに選ばれる。1999年、アコーディオン音楽連盟(AMA) のアコーディオンオーケストラ“Accordeon Ensemble”の指揮者とソリストとしてコンサートツアーのためにユーゴスラヴィアのいくつかの街(Belgrado “Musicka Filharmonia”, Lasarevac, Kucevo, Backa Palanca, Kikinda, Krusevac)に訪れる。同時期にドラガン イヴァノヴィッチ校長の依頼によりユーゴスラビア国立学校の生徒と教師にベルグラードの国立音楽学校“S.O.M.O. Stanislav Binicki”においてアコーディオンセミナーを開催。1999年11月カナダ(Quebec ? “Chapelle de l’Amerique Francais, Palais Montcalm”, Baie Saint-Paul)において演奏。2002年にはパオロ リミティによる番組“Ci vediamo in TV”においてRai社と共同制作する。2001年から2005年には“L’Anno Italiano”(日本におけるイタリア年)の一環としてアコーディオン演奏のために東京、京都、大阪、横浜、名古屋、亀山、松山、大塚、静岡、高松そして四日市をまわった。2003年と2004年には名古屋にて山本氏により編成された生徒、アコーディオン奏者のためのゼミナールを開催。2005年NHK放送番組の「25 chiacchiere in italiano」(イタリア語でおしゃべり25)にてゲストとして招かれた。フォッサーノの民間音楽学校“V. Baravalle”にて講師として活躍。ボルゴ サン ダルマッツォの民間音楽学校“Dalmazzo Rosso”においても1987年から2004年まで講師として活躍、1996年から2004年まで教育管理の任務を任せられる。生徒は数々のナショナルコンクールや国際コンクールに出場し、輝かしい成績を残している。またオリジナルの新しい一節やアコーディオン奏者のレパートリーを記載し、普及することを専門とする音楽雑誌PHYSA(トレヴィーゾ)において最近紹介される。

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